一人でインタビューをやってみた

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※写真はフリー素材をお借りしたものです。私本人ではありません。

私:今回は一人二役でインタビューを行うとのことですが、きっかけを教えていただけますか?

 

私:雑誌を見てみると、よく有名人や成功者がインタビューを受けているページがあるじゃないですか。こういうページに映っているだけで、その人がより一層大物に見えてくる。そんなことを考えたことってありませんか? 僕も幼少期は、そんな大スターに憧れてきたんですけど、僕に密着しようと考える酔狂な人はそうそういないでしょ? だったら自分でしちゃえばいいかなって。

 

私:え? それって何の意味もないですよね?

 

一同:(笑)

 

私:僕が肺呼吸を始めたのは、ちょうど僕が産まれた時ですね。それまでは親の仕送りでなんとかしのいできました。

 

私:何が送られてきたのですか?

 

私:酸素や栄養ですね。へその緒を通して受け取っていましたよ。

 

私:肺呼吸を続けて、何年くらいになりますか?

 

私:かれこれ、もう二十年以上になりますね。今でも続けていますよ。

 

私:鼻呼吸が苦手だと伺っていますが。

 

私:否定はしません。普段は口から酸素を吸ったり、二酸化炭素を吐いたりしています(笑)

 

私:心臓はいつから動かしていますか?

 

私:胎児の頃からです。この頃は反抗期だったらしく、母に殴る蹴るなどの暴行を働いたこともありました。お腹に暴行を加えてましたね。

 

私:それは壮絶な過去でしたね。今はお母様とは上手くいっていますか?

 

私:少なくとも、暴力を振るうことはなくなりましたね。あの頃は友達も一人もいなくて、趣味も何も無かったんですよ。あの頃と比べたら、今は充実したなぁと思います。

 

私:丸くなりましたね。

 

私:はい。暴行をやめ、肺呼吸を始めた時は、毎日泣いてばかりの日々が続きました。

 

私:ご苦労様です。

 

私:まあ、今はかなり安定してきましたけどね。

 

私:チョモランマンさんにとって、肺呼吸とはなんですか?

 

私:死以上生未満です。ただ息をしているだけでは、生きているとは言えませんから。

 

私:本日はありがとうございました。またお話を伺えると幸いです。

 

私:ありがとうございました。

翻訳エンジンは般若心経を和訳できるか

 先ずは般若心経の歌詞をご覧いただこう。

 

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中
無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪
即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶 般若心経
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中
無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪
即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶 般若心経

 

「とても感動的な歌詞ですね。溢れる涙が止まりません」……とでも言えば良いのか。しかし私には般若心経の歌詞の意味がわからない。かの有名な米津玄師氏は元々ボカロPだったことで知られているが、Pだった時代の彼が作詞していた歌詞も大体同じくらい意味がわからない。未だに亡き愛人のことを夢に見ながらお経をあげているのだろうか。仏壇からはさぞ苦いレモンの匂いがしていることだろう。パプリカ花が咲いたら、それを墓に供えるのかも知れない。「心遊ばせあなたに届け」というのもそういうことなのだろう。

 

……冗談はさておき、本題は翻訳エンジンが般若心経を訳せるかどうかである。先ずはグーグル翻訳を使ってみる。

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文字数をオーバーしてしまった。夢ならばどれほど良かったでしょう。しかし諦めるのはまだ早い。次はDeepL翻訳を使ってみよう。

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怪文書が生まれた。一昔前の電波な個人HPにこういう文が掲載されていそうだ。目に悪い激しい点滅をするGIF画像と、MIDIの安っぽい音源のBGMが鮮明にイメージ出来る。この翻訳結果を見る限り、般若心経は「無の境地は救済である」と謳っているお経であることが伺える。生を呪縛と考え、死を解放と捉える考え方は、いささか厭世的であると言えよう。少なくとも、昨今の日本人に好まれる傾向の歌詞ではないことは明らかだ。何しろ昨今のJ-POPは、ラブソングばかりだからだ。

 

 なお、流行するJ-POPがラブソングに寄ることは検証済みである。

昨今の邦楽に見られる傾向の調査 - Chomolungmanの日記

 

 邦楽に苦言を呈する者は、是非とも般若心経に聞き入ると良いだろう。永遠の愛を歌う曲に飽きている者にとって、「死をもってした救済の歌」である般若心経はまさにニーズに応えた代物であると言えるだろう。幸福を代償にすれば不幸を感じずに済む。痛みから逃れるためならば、快楽など捨てられる。生や愛を神格化する綺麗事を並べたようなありふれた音楽と違い、般若心経では理想論を諦めた人間の思い描く「救済」が描写されている。

 

 検証の結果、般若心経はかなり攻めた歌詞をしているということがわかった。

桃太郎の桃について考える

 ネタ切れにつき、しばらく更新していなかった。今回は大きな桃について考えよう。

 

 本来、桃太郎というおとぎ話には大きな桃というものは存在していなかった。元々の内容は、祖父母が桃を食べたことによって若返り、夜の営みを行ったことによって桃太郎が誕生したという話になっている。それにしても、なぜ桃を食べただけで若返ってしまうのだろうか。

 

 

 実は、桃が特殊であるとは限らないという結論を下すことも可能だ。ご存知の通り、桃太郎には人間以外にも人間との意思疎通を図れる生物がいくつか存在している。犬、猿、雉、そして鬼だ。祖父母が人間であるという記述がどこにも見当たらない以上、彼らが何らかの「若返る生物」である可能性は捨てきれないのだ。

 

 寿命で死ぬロブスターは存在しない、という話をテロメラーゼの働きが活発で、短くなったテロメアを再び長くすることが出来るというのだ。更にロブスターは脱皮を行うたびに細胞や臓器が若返るため、永遠に寿命による死を迎えないという。ニューヨークのレストランでは、推定140歳と思われるロブスターが見つかったという前例もある。

 もし祖父母がロブスターだったなら、桃を食べたことで新陳代謝の一環として脱皮をしてもおかしくはない。実は桃太郎を育て上げた二人はロブスターだったのだ。犬と猿と雉がきび団子を食べるのだから、ロブスターが桃を食べても何もおかしくはない。

 

 

 続いては、今有名な方の桃太郎について触れていこうと思う。大きな桃についての考察だ。これはおそらく性行為を連想させる描写を避けるための改変で、なおかつ「桃太郎が桃太郎たる所以」を崩さないための果肉の策……もとい苦肉の策が大きな桃だったのだろう。桃が出生に携わっていなければ、桃太郎が桃太郎と名づけられることなどないのだから。

 

 ところで、桃太郎の生息圏には「鬼」という生物が関わっている。この鬼は物語において駆除対象であり、鬼ヶ島から日本本土まで財宝を盗みに来ることから特定外来生物の類であると考えることも出来る。喋ることの出来る犬と猿と雉。鬼という特殊な生物。そして大きな桃と、その中で生誕した桃太郎。突き詰めれば突き詰めるほど、この世界における生命とは異常なものだ。

 実は桃太郎のモデルは、吉備津彦命という人物であるとされている。彼は古の日本の皇族の一人なのだが、当時の皇族の間では近しい親戚同士での結婚が相次いでいたらしい。その結果、皇族の血はどんどん濃くなっていき、未熟児や異様な個体などが生まれやすくなってしまう。

 話を戻そう。これらの話を照合した時に見えてくる一つの答えがある。桃太郎の物語を通して語られているものは、一貫して「歪な遺伝子」なのだ。桃太郎に登場する異常な生物は皆、遺伝子の悲劇を背負って存在している。大きな桃はおそらく、遺伝子工学に基づき食用に品種改良された個体であると推測出来る。この桃は人間の愚かさの象徴であり、そこから桃太郎が誕生するということは「人間の愚かさが桃太郎を生み出した」ということを表している。古の皇族の繁栄の仕方に対する痛烈な風刺を感じさせる。しかし人間が自分で鬼を生み出し、自分でそれを駆除するとは、何とも考えさせられるものがある。

 

 

 信じるか信じないかは、あなた次第です。

昨今の邦楽に見られる傾向の調査

 最近ネタ切れに悩まされているが辛うじて更新が出来た。さて、邦楽についてよく聞く話と言えば、「邦楽ってラブソングばかりじゃねーか」といったところだろうか。果たして本当にラブソングばかりなのか、これを検証する必要がある。日本がラブソングの需要の高い国であれば、多くの日本人が愛に飢えていると考えることもできるだろう。ここでレコチョクの月間ランキングを見てみよう。

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 今回見ていくのは上位六曲だ。歌詞を全て掲載したいのはやまやまだが、それでは引用の域を逸脱してしまうため一部だけ掲載する。まずは六位、あいみょんの「裸の心」の歌詞を見てみよう。

この恋が実りますように

引用元:あいみょん 裸の心 歌詞 - 歌ネット

ラブソングである。歌詞を要約すると「恋愛に懲りまくったけど次の恋は上手くいきますように」といったところか。続いては五位、瑛人の「香水」の歌詞を引用する。

別に君をまた好きになるくらい君は素敵な人だよ

でもまた同じことの繰り返しって

僕がフラれるんだ

引用元:瑛人 香水 歌詞 - 歌ネット

またもやラブソングである。歌詞を要約すると「昔の女から連絡が来たので未練が押し寄せてきました」という感じだ。この調子だと、本当に邦楽はラブソングばかりヒットするという説が証明されてしまいかねない。残す希望は後四曲だ。頼んだぞ、第四位King Gnuの「白日」よ。

どこかの街でまた出逢えたら

僕の名前を覚えていますか?

その頃にはきっと春風が吹くだろう

引用元:King Gnu 白日 歌詞&動画視聴 - 歌ネット

 これはグレーゾーンだ。この曲は終始一貫して、の具体的な関係性については一切言及していない。ラブソングに聞こえなくもないが、そうじゃないと言われても納得はできる。要約するならば「罪を犯しすぎちゃった、全部リセットしたい」といった歌詞だ。歌詞の中で「君」と呼ばれている人物が曲のコンセプトの根幹に関わっているようには思えないため、これは非ラブソングとしてカウントしておくことにする。次は第三位、嵐の「Party Starters」だ。

We're party starters We're party starters

We got those good vibes We're going all night

We're party starters We're party harder

We goin' sky high We're going all night

All night long

引用元:嵐 Party Starters 歌詞 - 歌ネット

 ……和訳しておこう。

 

  僕らはパーティーを始める者

  バイブスをアゲてオールする

  僕らはパーティーを始める者

  空高く跳びオールする

  一晩中

 

 この曲は終始こんなノリだ。いわゆるパリピのノリをそのまま歌にした感じだ。少なくともラブソングではないことだけは確かだと言えよう。続いて第二位、NiziUの「Make you happy」はどうだろうか。

Gave me きれいな恋 Gave me

Held me 小さなこの手繋いで

大切よ ひとりきりにはさせないよ

Take me この私 全部あげたいの

引用元:NiziU Make you happy 歌詞 - 歌ネット

ラブソングだった。それにしても、今の私はまるでひよこ鑑定士のようだ。この曲の歌詞は基本的に、「あなたを幸せにしたい」といった旨を歌い続ける構成になっている。

……昔エホバの証人のおばさんに捕まった時に同じようなことを言われた覚えがある。

 宗教勧誘を行う者の心意は、宗派問わず「相手を救いたい」というところに帰結する。それが押しつけがましい有難迷惑なので非常に嘆かわしいことだ。信仰の自由は尊重するが、どうかそれをこちらに押し付けるような真似だけはしないで欲しい。私はただひよこの雌雄を判別しているだけだ。

 そしてついに第一位の発表だ。YOASOBIの「夜に駆ける」を見てみよう。アーティスト名は夜遊びで、曲名にも夜が含まれる。このアーティストは余程「夜」という概念に執着心を抱いているに違いない。

初めて会った日から

僕の心の全てを奪った

どこかはかない空気を纏う君は

寂しい目をしてたんだ

引用元:YOASOBI 夜に駆ける 歌詞&動画視聴 - 歌ネット

いっそここまでラブソングばかりだと清々しいものだ。上位六曲中、四曲はラブソングだった。ちなみにこの曲は「二人」という単語を四回も使っている。二人であることをこれでもかというくらい強調してくる。それにしても邦楽の歌詞は一人称が「僕」になりがちなものだ。タメ口で喋っている日本人男性は大体自分のことを「俺」と言いそうなものだが、音楽家たちは頑なに「僕」と言いたがる。汚いものから目を逸らして純粋無垢ぶる不自然な歌詞に、「俺」という生き血の通った一人称は合わないのだろう。現実世界の有様が健全とはほど遠い以上、綺麗な歌詞は現実を逸脱する必要がある。私はこれを是とも非ともしないが、もう少し飾り気のない歌を聞きたいと思うものだ。

 実はオスのひよこは、卵を産まないことからその多くが生産効率の都合で殺処分されていると聞く。我々の目に入るものはメスのひよこという名のラブソングだけだ。オスのひよこに目を遣るように、たまには現実と真っ向から向き合うような音楽に耳を傾けてみてはどうだろうか。耳触りの良いさえずりのような曲だけではなく、時には殺処分されるオスのひよこの断末魔を聞くことも大切だと私は考える。

 

結論:音楽とはひよこである

Amazonサクラ探しの旅

 ショッピングサイトはサクラや業者の温床として知られている。そしてサクラも「金を貰えるから」といった理由でサクラレビューを行うため、もはや自分のレビューで不特定多数を実際に騙せるか否かなどほとんど気にしていないであろう。要するに「あからさまな星5レビュー」の投稿者をちょっと調べれば、そのユーザーは星5レビューしか投稿していない可能性が高いというわけだ。この仮説を証明すべく、我々はアマゾンの奥地もといAmazonへと向かう。

 

 サクラレビューの多い商品と言えばやはりイヤホンだろう。先ずはAmazonを開き、「イヤホン」の検索結果を「レビューの評価順」に並び替えてみる。

 

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いかにも胡散臭い商品ばかりだ。わざわざレビューをするほどイヤホンにこだわりのある者が、はたして無線のイヤホンなどで満足するだろうか。もちろんイヤホンの音質にこだわりのある消費者は少数派だと思われるが、そんなライト層がいちいちイヤホンのレビューを書こうとするだろうか。もしイヤホンにこだわりのない私がレビューを書くとしたら、それはペアリングのトラブルが相次ぐ場合などだ。こだわりのない消費者がイヤホンのレビューを書くのなら、普通は批評ではないだろうか。

 

 とりあえず、今回は一番左上の無線イヤホンを見てみるとする。

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気は確かか?

無線イヤホンの評価とは思えないほどの高評価だ。不自然極まりない評価の偏りはどう見てもサクラの存在を裏付けていると言っても過言ではない。果たして、レビューの内容は……

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 べた褒めだ。わざわざ写真も添付しているところがいかにもなサクラレビューと言ったところか。全部載せるとキリがないので載せるのはここまでにしておくが、実はまだまだたくさんの星5レビューが投稿されている。先ずは一番上のプリケットマーフィー氏の他のレビューを確認してみよう。

 

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星5レビューしか投稿していない。

サクラを雇う業者は何を考えているのか。この不自然な商品を見て「これなら買いだ!」とでも言う消費者が現れると本気で信じているのだろうか。もはや不特定多数に商品を売ることを諦め、ごく少数の馬鹿にイヤホンを売りつけようとしているのが透けて見える。続いては一つ下の、Y.I氏のレビューを漁ってみよう。

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お前わざとやってるだろ。

 

 Y.I氏のサクラレビューの数々は一画面に収まりきらない。サクラレビューはまだまだある。このユーザーがアカウントをBANされるのも時間の問題だろう。やはりAmazonはサクラの温床らしい。兎角にインターネットのレビュアーとは信用の置けないものである。プロや有識者ではなく、金に目のくらんだ一般人がレビューを投稿してしまうのだからレビューは宛にならない。我々は小学校で「嘘をついてはいけません」と習うはずだが、真の嘘つきは無邪気な子供ではなく薄汚い大人に他ならないのである。嘘つきは泥棒の始まりとはよく言ったもので、実際のところ大人は地位や権力を奪い合いながら生きている泥棒だ。そんな薄汚い大人に、Amazonにサクラレビューを投稿するような大人にだけはなってはいけない。

 

 これ以上、罪のない子供達の無垢な想いが「泥棒」に奪われないことを祈る。

白黒写真を松崎しげる色にしてみた

 突然だが問題を出題する。松崎しげるはどちらかを答えよ。

松崎しげる | Discography | Discogs

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非常に難しい問題だ。実は一枚目が松崎しげるで、二枚目はただの真っ黒な画像である。なんとも理不尽な問題である。優れた色覚を持っていなければこの問題を解くことはまず不可能であると言っても良い。

 

 さて、冗談はさておき、今回の記事では松崎しげるがいかに黒いかを検証していく。先ずはペイントソフトを使い、松崎しげるの肌の色を抽出する。

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黄色人種の肌にしては黒いが、単色の画像にしてみるとわりと明るい色をしている。実は松崎しげるも大して黒くないのかも知れない。なんとこの世には「ベンタブラック」という物質があり、可視光線のうち99.965%を吸収するほどの黒さを誇るという。その黒さたるや、くしゃくしゃにしたアルミホイルをベンタブラックで塗りつぶせば、表面の凹凸を肉眼で確認出来なくなるほどだ。この物質と比較してみると、松崎しげるの黒さはいささか頼りがいがないとも言えるだろう。しかし私は検証するしかない。彼の肌の黒さの、その限界を。

 

 先ずは白黒の写真を見つけなければならない。つまり、カラー写真がまだ普及していない時代の写真でなおかつ現存のものを見つけなければならないということだ。私は真っ先に、犯罪者か偉人であれば写真が残ると考えた。そこで私が用意したのは、この写真である。

阿部定 - Wikipedia

阿部定である。この女性は夜の営みの最中に愛人のナニを切り取り、それを携帯していたというのだから驚かされる。愛は世界を救うだの、愛は美しいだのと宣う者はよく散見されるが、そんな者たちからしてみても阿部定だけは数少ない例外であろう。愛に関連した綺麗事や理想論に反論するにあたっても、流石に阿部定を引き合いに出すのは極論が過ぎると言える。そんな彼女が生きていた時代は明治時代。すなわち、現存の彼女の写真は見てのとおり白黒写真である。

 

 ここで本題に移る。阿部定の白黒写真に含まれる「黒」を松崎しげるの色と置換した場合、果たして写真の見栄えは自然になるのだろうか。

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……セピアカラーだ。古い雑誌に掲載されている白黒写真が色あせるとこんな色になるような気がしないでもない。私が見る限りでは、少なくとも違和感はない。強いて言えば少し赤みがかった色をしているのが問題と言ったところだ。

 

 ならば最初から赤い白黒写真を用いれば良い。

 

 赤い白黒写真と言うと、一見矛盾しているように聞こえるかも知れない。しかし私は赤い白黒写真の存在を知っている。その写真を見た時、誰もが「確かに赤い白黒写真だ」と納得するであろう。

 

 実際にその写真をとくとご覧あれ。

カール・マルクス - Wikipediaどこからどう見ても赤い白黒写真だ。

 

 この写真を松崎しげるの色にすれば、そこに違和感は生じないだろう。実際にやってみた。

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真っ赤だ。

これぞまさしく赤い白黒写真そのものである。そして案の定違和感はほとんどない。松崎しげるの黒さはベンタブラックには劣るものの、白黒写真の色として用いる分には充分なものであると保証された。しかし松崎しげるの色は黒ではない。セピアである。

 

 松崎しげるが世間で「黒い」とされてきた背景には、人類が物事を相対評価で測ってきた歴史が根付いている。人は物事の優劣を自分の見てきたものと比較し、相手が比較的何らかの性質を具有している部類であればその性質を相手の「カテゴリー」そのものと捉えてしまう。

 これが全世界を見た上での公平な相対評価であれば問題はないのだが、何分人間にはこの世の全てを知ることなどできやしない。人を善と悪に分ける際の線引きにもまた、個人の偏りが生じてしまうというわけだ。

 この記事で「松崎しげるが黒いのは黄色人種間における相対的な話に過ぎない」と学んだそこのあなたは、善と悪を分ける際に「自分の見てきた人間たち」だけを判断基準にしないよう心して欲しい。悪の種類を便宜上「七つの大罪」で分けるとして、例えば人によっては嫉妬には甘く傲慢には厳しいという者もいるし、その逆もいるだろう。前者は嫉妬深い人間に理解があり、後者は傲慢な人間に理解があるのかも知れない。このように善悪は簡単な概念ではなく、単なる度合いだけではなく種類によっても評価の仕方が変わっていくものだ。

 

 畢竟、相対性に惑わされると人は盲目になり、時には松崎しげるとベンタブラックの区別すらついていないかの如し血迷い方をするということである。

全ての桃太郎

hukumusume.com

※原文はこちら

 

 

 むかしむかし、あるところに、全てのおじいさんと全てのおばあさんが住んでいました。
 全てのおじいさんは全ての山へしばかりに、全てのおばあさんは全ての川へせんたくに行きました。
 全てのおばあさんが全ての川で洗濯をしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、全ての大きな桃が流れてきました。
「おや、これは全ての良いおみやげになるわ」
 全てのおばあさんは全ての大きな桃をひろいあげて、全ての家に持ち帰りました。
 そして、全てのおじいさんと全てのおばあさんが全ての桃を食べようと全ての桃を切ってみると、なんと、中から全ての元気の良い男の赤ちゃんが飛び出してきました。
「これはきっと、全ての神さまがくださったにちがいない」
 子どものいなかった全てのおじいさんと全てのおばあさんは、大喜びです。
 全ての桃から生まれた全ての男の子を、全てのおじいさんと全てのおばあさんは桃太郎と名付けました。
 全ての桃太郎はスクスク育って、やがて強い男の子になりました。
 そしてある日、全ての桃太郎が言いました。
「ぼく、全ての鬼ヶ島(おにがしま)へ行って、全てのわるい鬼を退治します」
 そして、全てのおばあさんにきび団子を作ってもらうと、全ての鬼ヶ島へ出かけました。
 旅の途中で、全てのイヌに出会いました。
「桃太郎さん、どこへ行くのですか?」
「全ての鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだ」
「それでは、お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。おともしますよ」
 全てのイヌは全てのきび団子をもらい、全ての桃太郎のおともになりました。
 そして、こんどは全てのサルに出会いました。
「桃太郎さん、どこへ行くのですか?」
「全ての鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだ」
「それでは、お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。おともしますよ」
 そしてこんどは、全てのキジに出会いました。
「桃太郎さん、どこへ行くのですか?」
「全ての鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだ」
「それでは、お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。おともしますよ」
 こうして、全てのイヌ、全てのサル、全てのキジの仲間を手に入れた全ての桃太郎は、ついに全ての鬼ヶ島へやってきました。

 全ての鬼ヶ島では、全ての鬼たちが近くの全ての村からぬすんだ全ての宝物や全てのごちそうをならべて、酒盛りの真っ最中です。
「みんな、ぬかるなよ。それ、かかれ!」
 全てのイヌは全ての鬼のおしりにかみつき、全てのサルは全ての鬼のせなかをひっかき、全てのキジはくちばしで全ての鬼の目をつつきました。
 そして全ての桃太郎も、全ての刀をふり回して大あばれです。
 とうとう鬼の全ての親分が、
「まいったぁ、まいったぁ。こうさんだ、助けてくれぇ」
と、手をついてあやまりました。
 全ての桃太郎と全てのイヌと全てのサルと全てのキジは、全ての鬼から取り上げた全ての宝物を全てのくるまにつんで、元気よく全ての家に帰りました。
 全てのおじいさんと全てのおばあさんは、全ての桃太郎の無事な姿を見て大喜びです。
 そして三人は、全ての宝物のおかげでしあわせにくらしましたとさ。