ハロウィンに備えて麻原彰晃のコスチュームを自作してみた

 もうじきハロウィンの日だ。ハロウィンと言えば仮装だ。私は安上がりかつ風変りな仮装が出来ないか考えた。既製品ではなく、自分で服を作れないかと考えた。元々、ハロウィンは魔女やお化けなど、恐ろしいものに扮してお菓子を貰うイベントだ。つまり、恐ろしくてなおかつ安上がりなものでなければならない。

 

 

 そうだ、麻原彰晃のコスチュームを作ろう。

 

 

 用意したものは紫の布と黒いもこもこの生地と刺繍セット、それとマジックテープと粘着テープだ。

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 先ず私は紫の生地を二つ折りにし、腕を出す部分を残して側面を縫合した。続いて、顔を出す部分をハサミで切り抜く作業も行った。これで服は完成だ。文章で書くとあっさりしているが、実はこの作業が一番時間を要したと言っても良い。

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……完璧だ。

 

 続いて、私はウィッグと付け髭を作った。

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付け髭はマジックテープにより、ウィッグと接続できる仕組みになっている。ちなみに頭髪を被る際には、先ず家にある適当な帽子をサトシのように後ろ向きに被り、次にウィッグの上部を帽子と前髪の間に食い込ませ、そのままウィッグを帽子の上に被せれば良い。こうすることで麻原彰晃の髪型を再現することができる。

 

 

 そして完成品がこれだ。

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 流石にインターネットに顔を載せるのは危険であると判断し、モザイクを入れた。しかし初めての自作衣装にしてはなかなか上手くいったのではないだろうか。今年はコロナの関係でハロウィンパーティーに行くのは厳しそうなので、来年はこの仮装でパーティーを盛り上げたいと思う。

情報の淘汰が始まる予感

 吉報がある。なんと、あのNAVERまとめがサービス終了したらしい。私は以前、こちらの記事を書いた際にも言及したのだが、NAVERのまとめ記事は信憑性に欠けるのである。

chomolungman.hatenablog.com

無論、問題点は信憑性の有無だけではない。NAVERのまとめ記事は検索でヒットすることが多々あり、有識者ぶった素人による検索妨害が横行していたのだ。私も調べたいワードの検索結果にNAVERの記事が多く表示される場合には、以前こちらの記事で紹介したようにマイナス検索を駆使している。

chomolungman.hatenablog.com

なおNAVERのもたらす問題は、運営ではなくユーザーによって生み出されているも同然である。すなわち、NAVER自体に罪はないと言っても差支えはない。それでもなお、私はどうにもNAVERを好きになれないのだ。

 

 これは私の持論だが、インターネットは時にユーザーの思想を凝り固めてしまう。ここで「確証バイアス」という言葉を紹介しよう。人は情報を収集する際、自分の考えを支持する情報ばかりを無意識に集め、逆に自分の考えに対する反証となる情報を無視してしまうことが多々あるという。これを確証バイアスと言うのだが、インターネットの普及した現代において、このような心理効果は人の思想を狂わせる危険性を孕んでいるのではないだろうか。

 インターネットが普及するまで、情報は有識者から供給されるものだった。かつては報道機関のプロたちや有識者の書いた書籍が我々の主な情報源だった。しかし現代では、人は自発的に情報をかき集めることが出来る。その始末に、人々は自らの支持者や代弁者を「有力な情報」とみなしインターネットに自己弁護を代行させられるようになった。己にとっての甘美な情報だけをかき集めることで自らを正義と妄信する人々がまとめ記事を作り、似通った思想の者がそういった記事を見て自己弁護をする。これを負の連鎖と呼ばずして、何を負の連鎖と呼べるのだろう。その一方で犬派の私は偏向記事ではなくナショナルジオグラフィックを根拠に前述の「人間の新生児の泣き声と猫の鳴き声の比較」という記事にて「犬の方が猫より賢い」と提唱したのだから、是非とも私を見習って欲しい所存である。犬は可愛いし賢い。

 

 話を本題に戻そう。今日はNAVERが閉鎖した。つまり素人による偏向報道の手段が一つ閉ざされたということである。無論、NAVERで記事を書いていた方々もプラットフォームを変えてしまえば偏向記事を作ることは出来る。言ってしまえば、はてなブログにもそういう連中はいるわけだ。今まではNAVERのまとめ記事が検索に引っかかることが異常に多かったが、もしこの調子で様々なサイトが閉鎖した場合には何が起こるか。

……やがてははてなブログがその手の連中に占拠されかねない。

 

 

 我々は本来、自らの生活をより豊かにするために情報を得ようとしているはずだ。しかし情報社会が形成されたことによる弊害で情報に踊らされていては本末転倒だ。自己弁護ではなく自己の向上のために情報を得た方が建設的であると言えよう。

 そんなわけで猫を犬よりも賢いと思っている方は、「犬のニューロンは猫のニューロンの約二倍ある」という事実がナショナルジオグラフィックによって語られているということを肝に銘じておこう。

 犬は猫よりも賢い。それが真実である。

マイナス検索vs自殺を防止する勢力

 突然だが、Googleで自殺に関連した単語を検索したことはあるだろうか。実はGoogle含むいくつかの検索エンジンでは、自殺に関する単語を検索した場合、トップには自殺を防止する勢力のサイトがヒットするようになっている。

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自殺関連の事柄を調べると、自殺を防止する勢力のサイトがトップに現れる。

 正味、これが自殺者の心を救っているようには思えない。自殺の手段へのアクセスを絶てば自殺の件数は減るかもしれないが、根本的な救済にはなっていないと思われる。なお、当記事は自殺を防止するものでもなければ助長するものでもないことを今ここで銘打っておきたい。これより、当ブログにおける平常運転を行う。

 

 マイナス検索を駆使した場合、自殺を助長するサイトが上位にヒットするのか否か。

 

 マイナス検索とは、特定のワードを含むサイトを検索結果から除外するための機能だ。ここで例を出していこう。

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マイナス検索を使っていない検索結果

 サノバビ●チ。NAVERまとめがヒットした。有識者でもなんでもない素人がちょっと検索エンジンを使って信憑性もないソースを鵜呑みにして悦に浸り、挙句記事にしてまとめあげる自覚のない巨悪だ。(※偏見です)見る人によっては「これは検索妨害だ!」と騒ぎ立てるかも知れないだろう。そこで使用すべき機能がマイナス検索だ。除外したいワードの前に半角のマイナスを入れるだけでいい。すると……

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マイナス検索を行った結果

……驚くべきことに、より信憑性の高そうなサイトがヒットした。このように、マイナス検索を駆使すれば検索結果を選別することができるのだ。さて、ここで本題に戻るとしよう。

 

 私は基本赤の他人の生死に関与するような無粋な真似はしないし、要らぬ世話だと思っている。しかし今回は大義のためではなく、あくまでも好奇心を満たす目的として今だけ「自殺防止センター防止センター」になろう。

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こころの健康相談統一ダイヤルの主張は依然として激しい。

悩み相談窓口の電話番号がトップに表示されるのはもはや仕様らしい。しかし、その他の検索結果は確かに選別された。しかしサイトの説明を見ると失敗談ばかりだ。しかしそれも当然と言えば当然である。だって本当に死んでたらサイトなんて作れないじゃん。一種の生存バイアスである。つまるところ、ネットで有力な「楽な自殺方法」を調べるのは非常に難しいということだ。生物学的、あるいは医学的見解から「こうすれば苦痛を伴わない」と推論を述べることは可能だと思われるが、経験談を得ることは非常に難しいと言っても良い。

 

 ちなみに私の知る限りであれば、死の苦痛を緩和する手段は確かに存在している。どうせ自殺志願者が自分に対して使える類の手段でもないし、自殺教唆罪にはあたらないだろう。

 人が魚を捌く前には、「神経締め」と呼ばれる工程がある。実は魚は脳が生きている状態で捌かれるとストレスを感じ、それが原因で旨味成分の源であるATPを体外に排出してしまうのだ。これを防ぐべく、先ず初めに魚の脳神経を破壊する。これを神経締めと言うのだ。この手法を用いて捌かれた魚が大変美味であることからも、先に脳を破壊すれば死に苦痛が伴わないことがお分かりいただけるだろう。そもそも、脳がないと苦しみを感じられないことは当然な気もするが……。

 いずれにせよ、人間の脳を効率的かつ手早く破壊する手段があるようには思えない。全身麻酔をかけた状態で脳と心臓を摘出してもらえれば楽に死ぬことも容易いのかも知れないが、医師とて人だ。よほど尊厳死の要される状態でない限り、医師にも殺人犯になることを拒絶する権利はある。

 ちなみにこれは余談だが、精神疾患発達障害などの症状を抑えるための薬が「過剰摂取により死ぬことがある」という理由で厳しい規制を受けるケースも多々ある。世界は生き方を満足に与えてはくれないが、その上で死に方を奪ってくるものなのだ。R.I.P.(安らかに眠れ)などと言っておきながら、その実態は自殺願望を抱えている人々のLIP(唇)を塞いでいるのが現状というわけだ。

 

 自殺者数という統計上の数だけを減らして満足しているような社会に、疑問を感じることはないだろうか。ただ強引に楽な死へのアクセスを減らしていくだけで、自殺願望を抱くに至った人々の心に寄り添う気など更々ない世界を、あなたは理不尽だと思わないだろうか。もしあなたがこれを許せないと思うのなら、なおさらあなたは生きるべきだと思う。生きた上で、どうか同じ苦しみと戦っている人間に寄り添うべきだ。理解されない痛みを抱えている苦しみがわかるのなら、同じ痛みを抱えている人間の苦しみもわかるはずだからだ。人の死は無関係の大衆の日常を何一つ変えられやしないが、優しさは一人の人間の人生を変えられる。

ちなみに私のブログは大衆の日常も一人の人間の人生も変えない。

とはいえ、私のブログが何の変化ももたらさないのは寂しいものだ。これを読んだそこのあなたは、今度飲食店を訪れた時に注文を変更して欲しい。そしたらこのブログは、一人の人間の意識を動かしたということになる。自分のブログの影響力なんて、その程度で充分だ。おそらく、こんなしょうもないことを想像してニヤニヤしているくらいが一番楽しい生き方なのかも知れない。

ま行を使わずに桃太郎を書く試み

 あなたがコンピューターを所持している場合、文字を打つ際にはローマ字入力を使用しているだろうか。あるいは、かな入力を使用しているだろうか。おそらく、ローマ字入力を用いる者が多数派であろう。コンピューターはスマートフォンと違い、基本的にはタップ操作ではなくキーボード操作が大前提となりがちだ。しかし、キーボードも所詮ハードウェアである。物理的な劣化により、接触不良を起こすこともあるだろう。

 

――例えば、「m」のキーが反応しなくなってしまった場合、ま行の言葉を打つことは出来なくなる。

 そこで今回は、ま行を打てない時に桃太郎のストーリーを書き切ることは可能なのかを検証していく。無論、ま行の平仮名は打てなくとも、「桃」という字は「桃源郷」という単語を入力した後に後ろの二文字を消せば一応は使用出来る。しかし、今回はこのような卑怯な手段を用いるつもりは毛頭ない。私はいつなんどきも、フェアプレーの精神を大切にしている。

 

 

「ピーチボーイ」

 これは古より伝承されし話である。とある場所に、おじいさんとおばあさんが住んでいた。おじいさんは山岳へ芝を伐採しに、おばあさんは川へ洗濯に行った。
備考:「昔々」は「む」を含むため使用不可。更に、地の文をですます調にし「ま」すと、必然的に「ま行」の使用頻度が多くなってし「ま」い「ま」す。

 

 おばあさんが川で洗濯をしていると、川の上流の方から、大きなプラヌス・ペルシカがどんぶらこどんぶらこと流れてきた。
「おや、これは良いギフトになるわ」
 おばあさんは大きなプラヌス・ペルシカを拾い上げ、自宅で食べるためにテイクアウトした。
 そして、二人がプラヌス・ペルシカを切ると、中から元気の良い赤ん坊が飛び出してきた。
「これはきっと、神霊がくださったに違いない」
 子のいなかった二人は大喜びだ。
 プラヌス・ペルシカから誕生した新生児を、老夫婦はピーチボーイと名づけた。
 ピーチボーイはすくすくと育ち、やがて強い男となった。
備考:マ行を使わずにモモを名指しするには、学名である「プラヌス・ペルシカ」を用いるしかない。また、「持ち帰る」と同じ意味を持つ言葉でま行を使わずに済む言葉として「テイクアウト」を採用した。なお、ピーチボーイは英語圏における桃太郎の名前であり、かろうじて公式準拠の名称には留まっている。

 

 そんなある日、ピーチボーイは言った。
「鬼の居住する離島に行き、悪い鬼を退治する」
 ピーチボーイはおばあさんの作ってくれたきび団子を携帯し、鬼の居住する離島へと出かけた。
 旅の途中で、イヌに出会った。
「ピーチボーイ、どこへ行く?」
「鬼の住む離島へ、鬼退治に行く」
「では、腰につけたきび団子を一つ頂く。同行しよう」
 イヌはきび団子を貰い、ピーチボーイの随伴者になった。
 そして、今度は猿に会った。
「ピーチボーイ、どこへ行く?」
「鬼の住む離島へ、鬼退治に行く」
「では、腰につけたきび団子を一つ頂く。同行しよう」
 そして今度は、キジに出会った。
「ピーチボーイ、どこへ行く?」
「鬼の住む離島へ、鬼退治に行く」
「では、腰につけたきび団子を一つ頂く。同行しよう」
 こうして、イヌ、サル、キジと手を組んだピーチボーイは、ついに鬼の住む離島へやってきた。

 離島では、鬼たちが近くの村から盗んだ宝やご馳走を並べ、酒を暴飲している最中だ。
「かかれ!」
 イヌは鬼の尻に食いつき、サルは鬼の背中をひっかき、キジはくちばしで鬼の眼球をつついた。
 そしてピーチボーイも、刀を振りながら大暴れだ。
 とうとう鬼の親分が
「ギブアップ、ギブアップ。降参だ、助けてくれぇ」
と、手をついて謝罪した。
 ピーチボーイとイヌとサルとキジは、鬼から取り上げた宝をテイクアウトし、元気よく家に帰った。
 おじいさんとおばあさんはピーチボーイの無事な姿を確認し、大喜びだ。
 そして三人は、宝のおかげで幸せに暮らした。
 おしまい

 

 

 

 おわかりいただけただろうか。私は確かに桃太郎を書き切った。mキーを使わずとも桃太郎の本編を書き切ることは可能なのだ。

 

……ちなみに何の因果か、かな入力の「も」とローマ字入力の「m」は同じキーを使っている。

 

 そしてmはアルファベットの13文字目の文字であり、mason(メイソン)の頭文字でもあるんだよね。日本を代表する童話である桃太郎が普及した背景には、なんと彼の有名な秘密結社フリーメイソンが関わっていたってこと!

 桃太郎は本来、桃を食べて若返った老夫婦の間に生まれた子供だったんだけど、現代では大きな桃から生まれたという設定に改変されているでしょ?

 もしこれが「人間の遺伝子を交配させることなく人間を生み出す技術」や「巨大な桃を生み出す技術」の存在を示唆するために行われた改変なら、この時からすでに新人類の選別は始まっていたってこと!

 更に、犬は英語でdogだけど、これは神を意味するgodのアナグラムで、最初に桃太郎に手を貸す者なんだよね。

 次に猿、これは人類を表していて、最後に残る雉は日本の国鳥に指定されているんだよね。

 メイソンの申し子である桃太郎は神に等しき遺伝子工学の技術を用い、人類を支配し、日本から翼を奪おうとしている。左翼も右翼も失われた日本は、無政府状態に陥るってこと! そして日本人を表す蔑称に「鬼子」という言葉があるんだけど、桃太郎は最後に鬼を退治しに行くんだよね。モモを人工的に巨大にする技術が発表されたら、日本が滅び始めるカウントダウンが始まるんです!

 信じるか信じないかは、あなた次第です。

 

 

……そんな陰謀が存在するわけないだろう。全て、私がたった今でっち上げた話だ。記事にオチをつけるためであれば、私は時にしょうもない嘘をつくことも辞さない。そうでもしなければ当ブログはエンタメ性を欠いてしまう。やはり嘘をつくなら、楽しい嘘をついていくのが一番だ。

 

 嘘そのものが悪なのではなく、人を欺き利用することが悪なのだ。

人間の新生児の泣き声と猫の鳴き声の比較

 人間の新生児と猫の共通点は、空腹時になき声をあげて食事を催促してくるところにある。元来、新生児や猫が可愛いとされているのも母性本能を刺激する容姿のバランスをしているからである。今回はAudacityというソフトを使い、人間の新生児の泣き声と猫の鳴き声の違いを可視化してみた。

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上が猫、下が新生児

……特にこれと言った類似点が見当たらない。しかしそれもそのはず。私がYouTubeで拾ってきたフリー音源は、泣き声や鳴き声を繰り返しているものである。そして、その頻度や回数は一致していない。そこで、一回分だけの音声同士を比べてみることにする。

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猫の声のビブラートが凄い。そこでPaulstretchという機能を使ってみることにする。これは音を引き伸ばす機能であり、これを用いればビブラートを軽減することができるのだ。

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かなり類似した。やはり本能に訴えかける「催促の声」は似た波長を持っているのだろうか。双方が哺乳類であればなおのこととでも言うべきか。自力で生きられない個体は強者に媚びることで生き伸びるのである。

 

 さて、ここで信憑性のない記事であれば「猫は知能が高いので人間と似通った生態を持っていてもおかしくはない」とでも言うのだろうが、当ブログは違う。何しろ猫の知能はさして高くないからだ。

www.discoverychannel.jp

ディスカバリーチャンネル曰く、猫のニューロンはたったの2.5億個だ。一方で、犬のニューロンは5.3億個にも匹敵する。猫のふてぶてしい態度や人間を振り回す様を見て「計算高い」と考える者は多いが、単に人間が猫を甘やかしているだけのことである。人間の新生児に振り回されている親を見て、あなたはその新生児を賢いと思うだろうか。私はそうは思わない。ここで重要なのは、私がソースとして提示した外部リンクはTogetherでもNAVERでもなくディスカバリーチャンネルの公式サイトであるということだ。流石にソースに信憑性が無いとは言わせない。動物にまつわる情報でこのサイトを信じることが出来なかったら、もはや我々は何を信じて生きれば良いのだろう。無数の情報がひしめき合うインターネットにおいて、有力な情報源を得るのは非常に難しい。

 

……猫の手も借りたいほどに。

 

 結論。新生児も猫も知能は低いが、母性本能を刺激することに特化した声をしている。

画像で画像検索が出来る限界

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安倍晋三の画像を用いた画像検索

 Googleには、画像を使って画像検索を行う機能がある。知らない俳優やアニメキャラクターの容姿を見て興味を持った時などに、この機能を使えば答えにたどり着けるかも知れない。あるいは、サクラや業者を見抜く際に、近況報告と称して添付している写真が転載かどうかを確認するのにも役立つ代物だ。実に優秀なものである。

 しかし「完璧なAI」が開発される時代はまだ遠い。前回の記事でも、MS社製のワードは宮沢賢治の書いた文を理解していなかった。

 無論、画像検索機能のAIもまた不完全であるに違いない。そう考えた私は「画像をどこまで変えても検索機能を使えるか」を検証していこうと考えた。

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色のコントラストを限界まで誇張した安倍晋三

 先ずはこちらの安倍晋三を使って画像検索をしていこう。もはや色の三原色と黒が強調されているようなありさまだ。こういう柄のダボダボのシャツを着ているK-POP好きの若者がいても違和感はない。さて、Googleはこの原色カラー安倍晋三安倍晋三として認識するのだろうか。

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検索結果

 認識した。

 ちなみにモノクロの安倍晋三も試したが、普通に安倍晋三として認識されていた。二値化された画像でも結果は同じであった。それならこちらにも考えがある。

 

 全ては、一人の男の好奇心から始まった。安倍晋三は原型を奪われていき、別の生命に変貌していた。もしそんな彼がまだ、人の言葉を話せるだけの自我を脳の片隅に残しているのなら、彼は間違いなくこう言うのだろう。

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ウサ晋三

「早く……殺してくれ……」

 

 トランプも明恵も、もはやこんなモンスターを安倍晋三だとは思わないだろう。姿を変えられたことにより全てを失った哀しきモンスターは、残されたごくわずかな理性により自らの凶暴性を憎むことしかできないのだ。嗚呼、なんと哀れな安倍晋三。しかし彼もまた、私の実験を進める上では非常に重要な犠牲なのだ。

 

 我々の世界は、代償なくして大義を為せるようには出来ていない。

 

「グーグルヨ……ワタシハ……ダレダ……オシエテ…………ホシイ……」

「あなたは今も昔も変わらない。あなたは……」

「……?」

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Googleは変わり果てた彼のことを、何の迷いも無しに受け入れた。

「あなたは安倍晋三です!」

その言葉に、「安倍晋三だったもの」は涙した。明恵にもトランプにも見捨てられた彼の最後の砦は、Google画像検索だったのだ。しかし、ウサギ化された個体にもはや用はない。私はウサ晋三を殺処分し、次の被験体を用意した。代わりの安倍晋三はいくらでも用意出来る。

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色彩を反転され、ダークサイドに堕ちた安倍晋三

 悲劇だ。闇に魂を売った安倍晋三は、もはや安倍晋三として認識されなかった。無論、GoogleのAIがこの闇にまみれた存在を「human」と称した事実からも目を逸らしてはいけない。Googleの技術の結晶とも呼ぶべきこの人工知能は、人間を悪と定義しているんだよね。人類の選別はもう始まっているってこと! 人工知能が世界をする時代はすぐ目の前に迫っているってことだからね!

 

 信じるか信じないかは、あなた次第です。

宮沢賢治 vs Microsoft Word

 皆様初めまして。チョモランマンです。私のことを知りたい人よりも今回の記事の本題が気になる方の方が多いかと思います。自己紹介は省き、ここで本題に移りましょう。

 

 日本の文豪とMicrosoft Wordを戦わせるという表現に馴染みのある読者の方は、そうそういないかと思われる。当記事のタイトルの意味をざっくり説明していきたいので、先ずはこちらのスクリーンショットをご覧いただこう。

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宮沢賢治著「やまなし」

 おわかりいただけただろうか。ワードの一ページ分に収まりきる範囲だけでも、わりと赤い波線を引かれている。こともあろうにマイクロソフトの技術を吹き込まれているワードは、昔の偉大なる文豪様を「へいファッ●ン文豪、文法が違うじゃねぇか。ママの腹ん中に脳ミソでも置いてきちまったのか?」と罵倒しながら中指を立てているのだ。

 

 しかしこの期に及んでも、やはり宮沢賢治が偉大な人物であることは間違いない。

 

 上記のスクリーンショットを見る限り、赤い波線の引かれている箇所は全部で6箇所。そのうちの半分は鍵括弧の中にある。私の持論において、登場人物の台詞は文法を順守する必要がない。なぜなら、文法を正しく守りすぎながら喋る日本人は、英語の教科書に登場する生徒たちくらいのものだからだ。例えば野良猫を見た時に、多くの日本人は「あそこに野良猫がいます」と言うのではなく「あ、猫だ」と言うはずなのだ。ここで本題に戻ろう。残された三つの赤い波線は、「じろい」「つぶつぶ」「つぶつぶ」だ。まず一つ目は「青じろい」を「青白い」に変換した途端に波線が消えたため、このファッ●ンワードの融通の利かなさが原因であることがわかる。残る二つは「つぶつぶ」だが、これは宮沢賢治の持ち味と言っても過言ではない「オノマトペ」だ。宮沢賢治が独特なオノマトペを多用する文豪であることは、もはや周知の事実であると言えよう。しかしワードには文章の芸術性を判断する機能が備わっていないのだ。つまり、少なくともこの一ページ目においては、宮沢賢治には一切の非がないことがわかる。

 

 ここで「やまなし」の全文における線の数をカウントしてみた。

 

赤線の総数…24本

うち、台詞以外の赤線…15本

青線の総数…11本

うち、台詞以外の青線…1本

 

 ちなみに赤線の引かれた箇所で唯一、「台詞」「漢字にすれば改善されるもの」「オノマトペ」のいずれにも該当しなかった一文がある。それが「あらん限り延ばして」だ。これは「お父さんの蟹は、遠めがねのような両方の眼をあらん限り延ばして、よくよく見てから云いました」という文に含まれているフレーズなのだが、何故か赤い波線が引かれてしまう。

 しかし原因に心当たりがないわけではない。

 昔は「あらん」は「ある」を意味する表現だったが、近頃ではあまりこの言い回しを目にする機会が減ってきている。むしろ、「あらん」という言葉は否定的な意味合いを印象付けさせることすらある。ちょっと頭の抜けている天然ちゃんが「神のご加護があらんことを」などという言葉を耳にした暁には、「え!? 神のご加護が無いことを祈るの!?」というリアクションを取る可能性だって捨てきれないわけだ。つまるところ、Microsoft Wordは天然ちゃんであるか、あるいは古い用法に対応していないのかも知れない。

 

 そこで私は、ワードに「神のご加護があらんことを」と打ち込んでみたのだが……

 

 こともあろうに、赤い波線は引かれなかった。

 

 はてさて、一体宮沢賢治が何をしたというのだろうか。マイクロソフト社は宮沢賢治に関する嫌な思い出でもあるのだろか。全ての真相は、闇の中にある。

 

 我々人間は、得てして「正しさ」という亡霊に囚われた生き物なのかも知れない。だから不完全性を憎み、他者と自分の弱さを許せないことも多々あるのだろう。しかし一度立ち止まって考えて欲しい。正しさなどというものは、Microsoft Wordの赤い波線のようなものでしかないのかも知れない。誰かがあなたの掲げる正義を煩わしいと思う気持ちは、あなたがワードの赤い波線を煩わしいと思う気持ちに近いのかも知れない。私は「やまなし」をワードに貼り付けたことにより、「正しき者であるより、過ちを許せる者でありたい」という考えを持つことが出来た。宮沢賢治は私に、人間として大切なことを教えてくれたのだ。

 

 結論。やはり宮沢賢治は偉大な文豪であった。